最高裁判所第三小法廷 昭和43年(行ツ)25号 判決 1971年11月09日
上告人
福岡国税局長
安井試
上告人
大牟田税務署長
税田義
右両名指定代理人
日浦人司
外三名
被上告人
板橋テイ
外四名
主文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人らの負担とする。
理由
上告代理人青木義人(名義)、同日浦人司、同奈良崎隆一、同大塚悟、同大神哲成の上告理由について。
一論旨は、要するに、原判決が、利息制限法による制限超過の利息損害金については、たとえ約定の履行期が到来しても、現実に収受されないかぎり、課税の対象となるべき所得にあたらないとしたのは、昭和四〇年法律第三三号による改正前の所得税法(昭和二二年法律第二七号、以下、旧所得税法という。)一〇条一項(上告理由中二項とあるのは一項の誤記と認める。)にいう「収入すべき金額」の解釈を誤つた違法がある、というに帰着する。したがつて、本件における直接の論点は、制限超過の利息・損害金のうち未収のものに対する課税の許否に限られることとなるのであるが、問題の発端は利息制限法の解釈にあり、また、論旨は、原判示のごとき解釈は徴税の実際に適しないとして、その不当を攻撃するところがあるので、制限超過の利息・損害金が前記にいわゆる「収入すべき金額」として課税の対象となるか否かについて、現実に収受された場合と未収の場合との両者を含めて、以下に考察することとする。
二現実に収受された場合について。
利息制限法による制限超過の利息・損害金の支払がなされても、その支払は弁済の効力を生ぜず、制限超過部分は、民法四九一条により残存元本に充当されるものと解すべきことは、当裁判所の判例とするところであつて(昭和三五年(オ)第一一五一号同三九年一一年一八日大法廷判決、民集一八巻九号一八六八頁)、これによると、約定の利息・損害金の支払がなされても、制限超過部分に関するかぎり、法律上は元本の回収にほかならず、したがつて、所得を構成しないもののように見える。
しかし、課税の対象となるべき所得を構成するか否かは、必ずしも、その法律的性質いかんによつて決せられるものではない。当事者間において約定の利息損害金として授受され、貸主において当該制限超過部分が元本に充当されたものとして処理することなく、依然として従前どおりの元本が残存するものとして取り扱つている以上、制限超過部分をも含めて、現実に収受された約定の利息・損害金の全部が貸主の所得として課税の対象となるものというべきである。
もつとも、借主が約定の利息・損害金の支払を継続し、その制限超過部分を元本に充当することにより、計算上元本が完済となつたときは、その後に支払われた金員につき、借主が民法に従い不当利得の返還を請求しうることは、当裁判所の判例とするところであつて(昭和四一年(オ)第一二八一号同四三年一一月一三日大法廷判決、民集二二巻一二号二五二六頁)、これによると、貸主は、いつたん制限超過の利息・損害金を収受しても、法律上これを自己に保有しえないことがありうるが、そのことの故をもつて、現実に収受された超過部分が課税の対象となりえないものと解することはできない。
三未収の場合について。
一般に、金銭消費貸借上の利息・損害金債権については、その履行期が到来すれば、現実にはなお未収の状態にあるとしても、旧所得税法一〇条一項にいう「収入すべき金額」にあたるものとして、課税の対象となるべき所得を構成すると解されるが、それは、特段の事情のないかぎり、収入実現の可能性が高度であると認められるからであつて、これに対し、利息制限法による制限超過の利息・損害金は、その基礎となる約定自体が無効であつて(前記各大法廷判決参照)、約定の履行期の到来によつても、利息・損害金債権を生ずるに由なく、貸主は、ただ、借主が、大法廷判決によつて確立された法理にもかかわらず、あえて法律の保護を求めることなく、任意の支払を行なうかも知れないことを、事実上期待しうるにとどまるのであつて、とうてい、収入実現の蓋然性があるものということはできず、したがつて、制限超過の利息・損害金は、たとえ約定の履行期が到来しても、なお未収であるかぎり、旧所得税法一〇条一項にいう「収入すべき金額」に該当しないものというべきである(もつとも、これが現実に収受されたときは課税の対象となるべき所得を構成すること、前述のとおりであつて、単に所得の帰属年度を異にする結果を齎すにすぎないことに留意すべきである。)。
論旨は、借主としては、たとえ制限超過の利息・損害金を支払う法律上の義務がないことを知つていても、可能なかぎりその支払をするのが通常であり、貸主としても実際にこれを回収する可能性がきわめて高いといいうるとし、このことは、利息制限法による規制にもかかわらず、同法所定の制限を超過する利息・損害金を約定し収受する金融が後を断たず、かえつて、本件のごとく、いわゆる街の金融においては、制限超過の利息・損害金を約定し収受するのが常態であり、その経営は制限超過の利息・損害金収入を基礎として行なわれているという実情からも肯認できる旨を主張するが、制限超過の利息・損害金が約定されたからといつて、必ずしも、これが履行されるものでないことは、本件に現われた事実関係に徴して明らかであり、この場合、貸主は、法律上その履行を強制するためのいかなる手段も有しないのであつて、制限超過の利息・損害金についても、その支払のあるのが常態であるとする所論は、客観的な論証を欠くものというほかはない。
四以上によると、(1)借主が当初の約定に従い制限超過分を含めて利息・損害金の支払をし、貸主がこれを収受した場合は、利息制限法による制限の範囲内であると否とを問わず、これが課税の対象となるべき所得にあたるが、(2)約定の履行期の属する年度内にその支払がない場合は、約定の利息・損害金のうち、法定の制限内の部分のみが課税の対象となるべき所得にあたり、制限超過の部分はこれにあたらないこととなる(ただし、すでに制限超過の利息・損害金の支払がなされているときは、前記大法廷判決の示す法理により、法律上当然に元本に充当されるから、その残額についてのみ利息・損害金を生ずることとなるのであつて、利息・損害金が法定の制限内なりや否やは、右の法律上有効に残存する元本を基準として算定されなければならない。)。
論旨は、制限超過利息について、これが現実に収受されたか否かにより所得にあたるか否かを決することは、徴税上、種々の不都合を伴うとして、かかる解釈を不当であると主張する。しかし、法定の制限の内外を問わず、約定の履行期が到来した以上、未収のものを含めてすべて課税の対象となるというのは、画一的であつて徴税に便利ではあろうが、法律上、貸主として履行強制のためのいかなる手段も有しない制限超過の利息・損害金につき、単に約定の履行期が到来したというのみで所得ありとすることは、制限超過部分についてもその支払のあるのが常態であるとする論証のないかぎり、究極的には実現された収支によつて齎される所得について課税すべきであるという、課税上の基本原則に背馳するものというべきであり、また、貸主が約定の利息・損害金を現実に収受したときは、さきに説示したとおり、法定の制限の内外を問わず、これを課税の対象とすることができ、課税庁はその支払をした借主によつてその事実を認定しうるのであつて、所論のように、貸主が約定の利息・損害金を法定の制限の内外によつて区分し、かつ、正確な記帳をして、一切の資料と計算を課税庁に提示しないかぎり、担税力ある貸金業者が事実上容易に課税を免れる結果となるものということはできず、これを前提として、前記説示の解釈を不当とする論旨は、とうてい採用し難いものというほかはない。
五以上により、原判決が、制限超過の利息・損害金については、約定の履行期が到来しても、なお未収であるかぎり、旧所得税法一〇条一項にいう「収入すべき金額」に該当せず、これが被課税所得を構成しないとした判断は正当で、原判決に所論の違法はなく、論旨は、すべて採用できない。
よつて、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条、九三条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。(田中二郎 下村三郎 松本正雄 関根小郷)
上告人指定代理人の上告理由
原審判決には、旧所得税法第一〇条第二項の解釈・適用を誤つた違法がある。
原審判決は、「旧所得税法第一〇条第一項にいわゆる『収入すべき金額』とは『収入する権利の確定した金額』をいうものと解され、その収入をもたらす請求権が法律的に保護されていることを要するものというべきところ、利息制限法所定の制限を超過する利息・損害金は無効であつて、その収入が法律的に保護されないものであるから、その収入の可能性は客観的に認められず、期待できないものであつて、かかる利息等の支払が当事者間で契約されたとしても、それだけでは『収入する権利の確定したもの』には該当しないといわなければならない。もつとも、所得税法上所得の概念は経済的実質によつて把握すべきであるから法令に禁止された行為に基づく収入であつても、それが現実に受領された場合には課税対象としての所得を構成することは勿論であり、従つて利息制限法所定の制限を超過する部分の利息・損害金であつても既に実現された収入はこれを所得に計上すべきものと考えるが、いまだ実現されていない収入は法律的に保護されたものでなければその収入の実現は期待できず『収入すべき権利の確定したもの』ということはできないので、右超過部分の利息・損害金については、その未収の段階における年度の所得として課税することは許されないと解すべきである。」と判示されている。
しかしながら、右は、所得税法上の所得の概念を誤解し、旧所得税法第一〇条第二項の「収入すべき金額」の解釈・適用を誤つたものである。
一、所得税法の所得は、これに担税力を認めて課税の対象とされるものであるところ、担税力は経済的実質をいうものであるから、所得及びこれを構成する収入の概念は、経済上実質上の見地から把握すべきである。したがつて、経済的利益が担税力を認めうる程度に支配享受される状態に達するならば、所得税法上の収入となり課税の対象となるものであつて、必ずしもその経済的利益を収受保有することについて私法上の保護を必要とするものではないのである。このことは、旧所得税法第三条の二の「実質課税の原則」の規定および同法第二七条の二の「更正請求の特則の規定」(所得の計算は、経済的成果を享受しうる法律上の権利があるかどうかにより決すべきではなく、その経済的成果が現実的・実質的にあつたかどうかによるべきであることを前提としている。)が存在することからも明らかである。
ところで、利息制限法所定の制限を超過する未収の利息・損害金は私法上無効のものではあるが、それが一般的には現実の収受をまたなくても、約定の弁済期の到来により課税の対象となるほどの経済的実質を備えれば、所得税法上の所得を構成するに至るものである。
すなわち、利息制限法所定の制限を超過する未収の利息・損害金であつても債務者は任意に弁済し、債権者もまたこれを期待しているのが通常である。債務者としては、たとえ制限超過の利息・損害金を支払う法律上の義務は有していないことを知つていても、元本の返済特に担保物の処分の猶予を得るためや、今後の金融上の便宜を考慮し、あるいは、手形の不渡などによる社会的信用の失墜を免がれるためなどの事実上の考慮から、可能な限り制限超過の利息損害金を支払うのが通常であり、債権者としても実際にこれを回収する可能性が極めて高いといいうる。このことは、利息制限法の制定にもかかわらず、同法所定の制限を超過する利息・損害金を約定収受する金融が後を断たず、かえつて、本件のごとく、所謂街の金融においては右制限超過の利息・損害金を約定し、収受するのが常態であり、その経営は制限超過の利息・損害金収入を基礎として行なわれているという実情からも肯認できるのである。すなわち、制限超過の利息・損害金の請求は法の保護を欠きながらも、通常その実現を見るにいたつているが今日の社会の実態なのである。従つて右超過部分の未収の利息・損害金は、所得税法上の所得にあたることは明らかというべきである。
二、しかるに、原審判決は、「『収入すべき金額』とは、『収入する権利の確定した金額』をいうものと解され、その収入をもたらす請求権が法律的に保護されていることを要するもの」と判示されている。
なるほど、一般的には「収入すべき金額」とは「収入する権利の確定した金額」をいうものと解されている。しかし、収入金額を「収入すべき金額」としているのは、収入計上時期についても現金主義によらず収入される金額の確定した時期とするとともに、原則として債権についての評価を認めない(現実に回収不能の状態になつた時に貸倒れ等として処理する)ことを示したもので、これが「収入する権利の確定した金額」とされているのは、その趣旨を明らかにするだけであつて、これをもつて未収金について法律上の保護を要する根拠とはならないものである。
三、なお、制限超過の利息・損害金は右に述べたように現実に支払われなくても所得税法上の所得と見られるべきであるが、他面、原判決のように所得に計上すべきであるとすることには、次のような不都合がある。すなわち、利息制限法の制限超過の約定による貸金は多く貸金業者によつて行われるのであるが、この場合制限内の利息・損害金と制限超過の利息・損害金を正確に区分して計理記帳することは実際問題として複雑困難であり、また、かような区分の必要が具体的に生ずるのは債務者から任意弁済が得られないため訴の提起、抵当権の実行などの手段に訴える段階になつてであつて、それまでは、かような区分計理はなされないで処理されるのが通常であろうと考えられ、税関係においてのみかような区分計理をして申告させることは実情に即しないものといえる。さらに、貸金業者のなかには、貸借関係の明細等を示す書類を一切借主に交付しない者が多いので、原判決のような見解によると、貸主が自ら右のような区分計理を行ない、かつ、現金の収受について正確な記帳をし一切の資料と計算を課税庁に提示しないかぎり、課税庁は充分な課税資料を入手することは実際上著しく困難であり、実際には充分担税力のある貸金業者が事実上容易に課税を免れる結果にならざるをえないが、このような現実にあわない法律の解釈は法の正当な解釈ではない。
四、ただ、上告人主張の見解によると、法律上無効な債権は、法律上有効な債権より回収の可能性が小さいのに、両者を同一に取扱う点で不合理があるとの非難があるかもしれないが、それは物ごとを実質的に考えると失当である。すなわち、利息制限法の制限超過の利息・損害金債権が法律上無効であるために回収の可能性が小さいということは、貸倒れになる場合が多いということにほかならず、貸倒れ損失の計上(借主が、利息制限法違反を理由に制限超過の利息等の支払を拒否する態度を確定的に示せば、借主に資力はあつても、貸倒れと認められよう)によつて処理しうるものであつて、上告人の見解によつても、納税者に過重の租税負担を強いることになるものではない(法律上有効な債権であつても債務者が全く無資力であれば、債権者に租税負担を強いないことと対比すれば、よくわかるはずである。)
五、なお、昭和四一年一二月一九日福岡高等裁判所第四民事部言渡の昭和四一年(行コ)第九号課税処分取消請求控訴事件判決は、「所得税法上の課税物件である所得とはその発生原因が法的に許容されたものであるか否かを問わず、いやしくも税法その他法令によつて非課税とされていないもので、しかも経済的、実質上の見地から把握して収支計算上利得を構成するものであれば足りるものと解するのが相当である。」として、利息制限法所定の制限を超過する未収の利息金も旧所得税法上の課税物件である所得である旨判示しており、昭和四一年一月二七日名古屋高等裁判所第一部言渡の昭和三九年(行コ)第八号所得税更正決定取消請求控訴事件の判決も同旨である。
六、従つて、原審判決は、利息制限法所定の制限を超過する未収の利息・損害金を旧所得税法第一〇条第二項に規定する「収入すべき金額」にあたらないとした点に、租税負担の公平を考えず、同項の解釈適用を誤つたものといわなければならない。